【25日金曜日】
長野県での演奏が二つ入ったのでTakano & Miyuki得意の早朝出発。
NHKの大河ドラマ「真田丸」に沸く上田の街はそこかしこに六文銭の「のぼり」やポスターが。朝9時上田城に入城。
春とはいえ、城内から見上げる山の木々には雪が積もっていて、実戦を経た名城に似合いの凛とした風景でした。
城内を一巡して上田市立博物館に入ると外は雪になっていました!
10日ほど前、真田家ゆかりの高野山蓮華定院を訪ねた折にも積雪があり(お寺をご案内くださる方も「この時期に積雪は珍しい」と驚いておられました)、真田家と雪に何か関連があるような気がしてしまいます。
櫓門の正面に真田幸村騎乗像のある上田市観光会館で「双六(すごろく)…もう死語になりつつあるかも…」と「かるた」を見つけてしまいまして早々と荷物を増やしました。
楼門に続く道には真田十勇士のモニュメントが次々と出迎えてくれます。
池波正太郎真田太平記記念館隣りのその名も「太平庵」で大根おろし&味噌味の「真田丸」スタイルの蕎麦と桜エビのかき揚げが綺麗なそばをいただきました。「桜にはまだ早いんで、桜エビでがまんしてくださいね。」と優しい言葉と一緒に配膳してくださいました。
上田の市街地、西に見える独鈷山まで車で約20分。
独鈷山の北側は別所温泉、南側が丸子温泉郷になります。
丸子温泉郷の一番奥に位置する鹿教湯温泉ですが道路(国道254)が整っているので運転は快適。
3年前に来た折には素通りした内村川沿いの公衆温泉「文殊の湯」に♨
今回一つ目の温泉です。
午後3時には今晩演奏予定の齋藤ホテルに無事到着♪
【26日・土曜日】
快晴の土曜日は、演奏がありませんので、新和田トンネルを抜けて諏訪湖へ向かいます。
江戸末期に水戸天狗党のと松本、高島藩士が刃を交えた浪士塚を通過。
上田が真田丸で盛り上がれば諏訪地方は七年に一度の「御柱」一色。4月14日に始まる春宮木落とし坂では法被姿の氏子たちが入念に準備中でした。
偶然(?)26日は「信州上諏訪街道春の呑みあるき」の日。昨年の秋、諏訪を訪れた時は、一日ずれ「秋の呑みあるき」を逃したtakanoは今回、念願の初参加!
国道沿い、500m足らずに、舞姫、麗人、本金、横笛、真澄と五つの蔵が並び各々数種類の新酒を楽しませてくてます。与謝野晶子の「今宵会う人みなうつくしき」ではありませんが、すれ違うのは皆同好の志です。
(Takano)
「呑み歩き」のあった諏訪市から甲州路を西へ辿ると、中山道との合流点、下諏訪に至ります。かつて「街道一の都会なり」と詠われた下諏訪宿も今はひっそりとしたたたずまい。昨年もお世話になった鉄鉱泉本館(もとは料亭だったそうです)でわらじを、いや靴を脱ぎます。
旧中山道を見下ろす二階の部屋にぼんやりとしていると、宿場の賑わいが聞こえてきそうです。
3月26日&27日
「今井農園」に連日伺い、友人と懐かしい話をし、満開のパンジーとビオラを見せていただきました。その数と種類の多さには、例年のことながら目を奪われてしまいます。
今年も「今井農園」のビオラが、福島にも明るい春を届けてくれています。
(Miyuki)
【27(日)】
諏訪湖畔で岡谷名物「うなぎ」をランチにいただいた後、妹と岡谷市釜口水門(諏訪湖から唯一流れ出る天竜川)脇の公園へ。
富士山は見えませんでしたが、諏訪湖と八ヶ岳が一望できました。
毎日、毎日、この風景を眺めながら、育った姉妹です(笑)
その公園にある「小口太郎」さんの銅像も、数年ぶりに訪れました。太郎さんは、私の高校(諏訪清陵高校:旧制諏訪中学)の大先輩。高校時代に私もこの諏訪湖で舟を漕いだ(漕艇)ことを思い出しました。
歌碑には、彼が作詞した「琵琶湖周航の歌」が刻まれ、近くに設置された機器のスイッチを押すと、なんと「琵琶湖周航の歌」が!一緒に口ずさみました。
国宝「松本城」へ。武将とお姫様が、観光客を暖かく迎えてくれていました。
春休みのためか、日本人の家族連れも多く、意外にも白人の観光客が多かった気がします。日本人がヨーロッパのお城に憧れるように、欧米の方は日本の城が好きなのかも・・・
急な階段ではありますが、せっかくなので、松本城の天守閣まで上りました。
天守閣からは、松本の街と山々がよく見えました。400年の歴史を持ち、多くの城主へと受け継がれた城は、威厳ある佇まいのまま現代をなお生きています。
城の中には、火縄銃を初め各種たくさんの銃が保存されていて、銃の歴史を見ることができます。父が使用している猟銃に通じるものを感じました。
アルプスの「アルプちゃん甲冑バージョン」とワンショット!
(Miyuki)
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